冒険の始まり 〜The beginning〜
冒険の始まりは、いつも不安と高揚が入り混じる。
僕の冒険は、先輩からもらったボードを寮の自室に持ち帰ったときに始まった。
いきなりの不安はボードのベタつきだった。なんだかボードの表面がベタつく。。。サーフィンは、ボードのデッキに滑り止めのワックスを塗る、冒険の入り口に立ったばかりの僕はそんなことすら承知しておらず、今となっては笑い話だが、寮のシャワーブースにボードを持ち込み、石鹸でゴシゴシとベタつくボードを洗い始める始末だった。
一方、高揚といえば、それはもう、このボードで大きな波を縦横無尽に乗りまくること、それに尽きた。ひとしきり波に乗った後、ボードを傍にビーチで一息ついている僕、そんなことを勝手に想像して気持ちを昂らせていた。
早くこのボードを車に積んで海に行きたい。でもボード以外に準備するものって何だろう?
なんとも能天気な性格で、不安と高揚感を胸に、お古のボードを布団の横に置いて、僕は床についた。
これが、30年近く前の、僕が初めてサーフボードを手にした晩の出来事である。
情報収集 〜Information gathering〜
翌日からは、会社に向かう電車の中でも、仕事中も、そして休憩中も、頭の中はサーフィンへで一杯になった。何はなくとも、サーフィンに関する知識と情報が圧倒的に不足していることを痛感していた。
今のようにネットでなんでも、すぐに調べることができない90年代の半ば。何かについて情報を得るためには、本や雑誌、ビデオからというのがごく当たり前の時代だった。
満を持して迎えた次の休日、僕は朝から大型書店に出向いて、サーフィン雑誌や関連書籍、ビデオを漁りに漁った。
手にとる雑誌のグラビアに思わず目が釘付けになる。大波を滑り降りるショートボーダーにせよ、夕暮れのメローな波でウォーキングを決めるロングボーダーにせよ、グラビアに収まるサーファーたちからは、『自由』の匂いが発散されている。当時、社会人になってまだ数年目の僕は、目が回るほど仕事が忙しく、何だかんだと会社に拘束されていて、グラビアに踊るサーファー達に何か『自由』を感じた。
そう、僕が一気にサーフィンに惹かれたのは、漠然としながらもサーフィンをすると自由になれるのでは、といったイメージを強く抱けたからに他ならない。
片思いのように前のめりで強い思いは、部屋に持ち帰った雑誌や本を貪り、ビデオに釘付けになるのに、強力なエンジンとなった。
併せて、職場では、サーフボードを譲ってくれた先輩に、サーフィンに関するあらゆる質問をぶつけ、僕のサーフィンに対する理解は徐々に深まっていった。勿論、ボードのベタつきの意味も含めて。
ギアを揃える 〜Preparation〜
当時、僕が住んでいた独身寮は、千葉の松戸市にあり、海からはほど遠い。持ち帰った本によると、千葉は外房に出れば、そこかしこにサーフスポットがあるように見受ける。
ぼんやりと、サーフィンといえば神奈川は湘南!と思っていたのだが、僕の寮からだと、外房に出た方が近い。よし、これで行き先は決まった。あとは、ボード以外に必要なもの、ウェットスーツ、リーシュコード、ワックス、この辺りを揃えるのみ。
次の休日、スポーツ量販店の中でもサーフィンの取り揃えの多いムラサキスポーツに出向いた僕は、これら3点セットを買い揃えた。
Just do it!
未知の領域でも、興味を抱くこと。
まずは試してみること。
躊躇いなんか、窓から捨てれば良い。