正しさより楽しさの理〜Enjoy First, Explain Later〜
冬の朝、ボードを小脇に、冷たいビーチを降りて海へ向かう。
沖では、朝日を受けた波が、静かに呼吸している。
頬を撫でる風、潮の香り、足の裏から伝わる水の冷たさ。
波乗り前の、説明のいらないこの余白が好きだ。
「サーフィンの何がそんなに楽しいの?」とよく聞かれる。
けれど、うまく答えられたことはなく、最近は、はぐらかすだけだ。
ラインナップで波を待つ刹那、近くのサーファーと目が合い、小さくうなずくだけで通じ合う。
説明は要らない。
ここにいること自体で、もう十分なのだ。
人に何かを勧めようとすると、つい、「正しさ」の話になってしまう。
でも正しさは、ときに人を遠ざける。
一方、「楽しさ」は語らなくても伝わる。
楽しんでいる姿そのものが、雄弁だから。
僕が海に通うのは、誰かを変えたいからでも、誰かに理解されたいからでもない。
ただただ、自分が軽くなっていくからだ。
波は何も教えてくれない。
ただ、感じさせてくれる。
海から上がり、チャリボーにボードを積むと、ビーチクリーンをしていた老夫婦が、ぽつりと言った。
「気持ちよさそうですね。」
それで、もう十分だ。
正しさを語らなくても、世界はちゃんと見ている。
楽しさはいつも、静かに人を引き寄せている。
日々是好日なり
Ryuei
