『何も起きず、普通に、淡々と過ぎていく日常』こそが、幸せの本質ではないかと、歳を重ねるに連れて思うようになった。この気づきによって、辛さや苦しさと無縁になってきたように感じる。
強いオンショアで余程のジャンクコンディション、或いは自分の実力では太刀打ちできないような台風直下のデカい波、それら以外は、スモールコンディションだろうがお構いなしに、僕は朝イチ、ボードをチャリボーに積んで、自転車でビーチに向かう。波があれば勿論ハッピー、だけど波がなくてもハッピー。海辺に住んでいて、気楽に身軽に波乗りができている。自転車のカゴには、サーフワックスと水筒の他、ゴミ拾い用のトングと袋を積んでいて、波乗り後はビーチクリーン。一人でやるのが好きなので「ぼっちクリーン」と名付けて黙々とゴミを拾うことを楽しんでいる。合間に顔を上げて海に目を見やれば、波友たちがニコニコ顔でサーフセッションを楽しんでいる。自分で選んだ環境ながら、そのことに感謝。だから、波がない日でも僕は楽しめる。脛サイズでも海に入りボードに跨っているだけで幸せ。
人生においても、この何気ない日常こそ幸せの本質、と感じられるようになると、気持ちが落ち着く。競争に勝たないと、昇進しないと、良い成績を収めないと、等々、何か特別なことが起きなくても十分に幸せ。常に満たされている気持ちでいると欠乏感から遠ざかることができる。日々を満喫する姿勢。
朝イチの凜とした空気の中、朝陽に照らされる中でのサーフィン、そしてとろんとしたオイリーな夕暮れの波間をゆっくり進むニーパドル。こんな淡々とした日常を愛してやまない。日々是好日なり。
Ryuei
確かに、その通りと感じますね。加齢と共に理解できます。若い時には無理だったかもです。