Ryuei
Surfer・Illustrator&Author

ボードにまたがって波を待つ。
最近気づいたのだけど、不思議なことに、時間の感覚がなくなることがある。
一時間入っていたはずなのに、ほんの二十分くらいに感じる日もあれば、一本の波を待つ数分間が、ずいぶん長く感じられることもある。
時計が刻んでいる時間と、自分が感じている時間は、どうやら同じものではないらしい。
先日、カルロ・ロヴェッリという物理学者の『時間は存在しない』という本を読んだ。
途中、僕の頭ではなかなか追いつけないところもあったけれど、実に読み応えのある本だった。
特に印象的だったのは、最先端の物理学を紐解きながら、僕らが当たり前のように思っている、
過去があって、
現在があり、
その先に未来がある、
という流れが、どうもそうではないらしい、という示唆。
波待ちしながら反芻してみる。
沖に目をやると、まだブレイクしていない、一本のうねりがこちらへ向かってくる。
僕にとって、その波は「未来」にある。
やがて自分のところへやってくる。
パドルを始める。
テイクオフする。
その瞬間、未来だった波は「現在」になる。
そして波を降り、振り返れば、その一本はもう「過去」になっている。
未来。
現在。
過去。
でも、本当にそうなのだろうか。
波そのものから見れば、それは最初から最後まで、ひとつの海の中で起きている出来事にすぎない。
僕がどこにいるかによって、それを未来と呼んだり、現在と呼んだり、過去と呼んだりしているだけなのかもしれない。
そんなことを考えていると、もうひとつ妙な想像が浮かんできた。
僕らは未来へ向かって進んでいると思っている。
でも、ひょっとすると逆なのではないか。
沖からやってくる波のように、未来の方から僕らへ近づいてきているとしたら。
もちろん、これは物理学の話ではない。
ただの、波待ちをしているサーファーの空想である。
それでも僕は、この想像がけっこう好きだ。
沖には無数のうねりがある。
すべての波に乗ることはできない。
その中から、
「あ、これだ」
と思う一本を見つける。
ボードの向きを変える。
パドルを始める。
そして、その波の速さに自分の速さを合わせていく。
波をこちらへ引っ張ってくるわけではない。
自分の方が、その波に乗れる場所へ動いていく。
人生も、案外そんなものなのかもしれない。
未来を無理やりこちらへ引き寄せようとするのではなく、
「これだ」
と思える未来を見つけたら、そこへ自分を合わせていく。
気持ちを合わせる。
視線を合わせる。
行動を合わせる。
そうしているうちに、いつの間にか、その未来の方へと自分が引き寄せられていく。
沖を見る。
また一本、うねりが近づいてくる。
まだ僕のところには来ていない。
でも、その波は確かにそこにある。
さて。
次は、どの波に乗ろうか。
Ryuei
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